光世音院だより

天台寺門宗の僧侶で祈祷を中心に活動しています。よろしくお願いします。

越前一向一揆との抗争 天正2年(1574年)に思うこと

 越前五山の事を調べ初めまして、やりきれない歴史上の出来事があります。

まあ歴史好きのボヤキです(笑)

 

 織田信長の越前侵攻と朝倉氏の滅亡の翌年、天正2年に起きた越前一向一揆との抗争。早い話、抗争に敗れて一旦越前の白山修験は壊滅しました。

 

 越前白山修験の中心地、平泉寺は全山消失。その他文殊山、吉野ケ岳と焼亡。日野山、越智山と無傷でいられるわけはなく。

 

 特に平泉寺の壊滅は決定的で、以後江戸時代に再復興しますが寺院規模は10分の1

に縮小します。

 

 何より多数の古文書、仏像、仏具等々一旦失われたものは2度と戻らず、どれだけ国宝級の文物が灰燼に帰したことか。中には大徳のはっきりと実在を記した書物もあったかもしれませんね。

 

 有数の宗教都市平泉寺がそのままの形で残っていたら、福井県は恐竜に頼らなくてもよかったかも(笑)です。

 

 で、ふと気づいたのですが我が本山の園城寺は歴史上10数回の焼き討ちに会い、豊臣秀吉の時には廃寺同然に追い詰められましたが、すべて見事に復活し別名「不死鳥の寺」と呼ばれ、現在も現役活動中です。

 

 この2寺院の差はどこから来たのかなあと、考えたいですね。

越前五山、聖なる山々

 白山伏拝からの白山、手前の山の向こう側が白山です。この日は雲が多くほとんど山容が拝めませんでした。

 

 福井には泰澄大師が開かれたと伝わる「越前五山」と呼ばれる聖なる山々があります。

 

文殊山 標高365m

吉野ヶ岳  547m

越知山           613m

日野山            794m

白山(御前峰)2702m

 

 最初の三山はほぼ里山ですね。日野山含めて人里近くにあります。

 

日野山は越前富士と称され、白山と共に周囲からは目立つ山です。

 

越知山は大師が若い頃から修行に励んだ山と呼ばれ大師生誕の地から10Kmほどでしょうか。

 

文殊山、吉野ヶ岳含めどんな基準で選ばれたのでしょうか?山に何かを感得されたのか、選考基準が気になりますね。

 

特に私が気になる山は、越知山でしょうか。山上に祀られる仏様は、十一面観世音菩薩、阿弥陀如来、聖観世音菩薩と、そうです白山と同じ仏様方が祀られています。そのため、越知山は白山のプロトタイプでは、と考える方もいるようですね。大師が若い頃修行されていた山と言うだけでなく、白山信仰を理解する上でも重要な山である事は間違いないようです。

 

白山信仰に欠かせない越前五山、それぞれの山の紹介をこれから不定期で行なっていきます。

 

新潟にお墓参りに行ってきました。

 先週、妻と子供の精霊供養が無事終了。妻方の墓参りは例年だと暑さのおさまる秋ごろですが、今回は早めにまいりました。

 

 妻の両親は両方とも新潟県の出で、お墓は新潟市長岡市にあります。

 

 新潟県は雪国ですが、夏の暑さは関東とほぼ変わりません。8月6日の長岡市

38℃の猛暑日でした。

 

 お墓参りの報告だけでは味気ないですね。それで菩提寺の一つ長岡市内にある千蔵院

の紹介をさせていただきます。

 

 名前の通り千手観世音菩薩がご本尊の真言宗豊山派のお寺です。

 

 ご本尊は、天平年間(762年-763年)の名僧行基作。京都にあったものが源氏の手にわたりその後、村上家へ。代々村上家の兜仏(かぶとぼとけ)でしが、有名な戦国武将村上義清の時に、武田信玄に国を滅ぼされ上杉謙信のもとに身を寄せたとき、同じく越後の国へ。その後、兜仏の千手観音像は現在の長岡に安置されるようになりました。

 江戸時代には長岡藩の祈願時にもなったようです。

  ご本尊は通常は秘仏6年に一度、子年と午年の8月10日に御開帳されます。

 

 

 越後三十三観音霊場の第十五札所。境内で三十三観音霊場巡りもできます。

 

 

 こちらのご本尊をお参りさせていただいたとき、とてもきれいな光の粒がキラキラとご本尊の上部に輝いていた感じがして、感動したことを覚えています。

 しっかりと信仰されている仏様は本当にパワーがありますね。

 

 昨日はそのほか20数年ぶりに八海山尊神社にも参拝しましたが、その話はまた別の機会に。

 

(2023.8.7)

 

まずは大徳生誕の地に建つという泰澄寺から

 住所は福井市三十八社町11-12

ほとんど県道229号沿い。福井市ですが鯖江市との境からすぐの所、平野部の一角にあります。

 最寄り駅は福武線のその名も「泰澄の里」駅です。平成23年にできた比較的新しい駅ですね。JRだと大土呂駅北鯖江駅の中間のとこかな。

 養老元年(717年)、大徳が35歳ころ両親のために生誕の地に創建したと伝わっています。本尊は大日如来と十一面観音。

 現在は真言宗智山派との事。

 

 

 そこそこ広い敷地です。何度か訪れていますが他の参拝客に出会ったことはありません。

 

 ここが大師堂、本尊の観音様は血染めとのこと(麻生津ふるさとかるたより)。残念ながら直接拝見したことはありません。

 

 大徳が座禅修行されたと伝わる盤陀石です。


 敷地の奥には静かに白山権現社もあります。

 

 

 敷地を少し降りたところに2つの池が隣り合っています。

 参拝がいつも暑い時期だからか、この池の周りは蚊が多くて多くて、、、

 お寺の敷地外を見てもこの辺りはもともと水の豊富な地域だったのかなと。

 

 余談ですが麻生津小学校は現在レッドソックスで活躍する吉田選手の母校ですね。新しく麻生津ふるさとかるたに加わるかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白山信仰、泰澄大師など

 私の故郷福井県越前市では、天気が良いと白山が遠望できます。子どもの頃から身近にあった白山ですが、まだ山には全く興味がなく意識もしていませんでした。普通にある気にもとめない自然の風景でした。

 

 その白山を信仰の面から捉えてみようと思い始めたのは、ここ数年の事です。

 

 白山を開闢したと伝わる僧侶、越の大徳こと泰澄大師は越の国、現在の福井の出身と言われていますが、大師が生まれたと伝わる麻生津からは実家が20kmも離れていなかったり、実はとても身近なお方でした。

 

 残念ながら今では、泰澄大師と聞いてもほとんどの方が知らないと思いますが、大師や白山信仰の足跡を、主に福井県に尋ねてみようと思います。